「恐怖新聞」という名前の漫画があったっけ…えらく怖い漫画だった記憶がある
実際 新聞はとっているが もう止めようかと思っている
…というのは関係のない話 ただ「明日の新聞」という題名の絵を描いてみたいと思った
私も今はアルバイトの身分なんだけれど 教材やら各月の授業で何をするか「プランニング」をしなければならない 定職についていた頃は それがもっと多岐にわたり ゴチャゴチャだった
なので「プランニングばかりの今日」とは 「自分にとっての明日の新聞」如きもの
このことについて真面目に考えれば「必要欠くべからずの思考」となるだろうが
別の側面から 動物として観れば「読めない未来を無理に読もうとする愚行」である
先進国の人類は 明日が何曜日で 明日は何があって…というスケジュールを持っている それを筆記したら スケジュール帳が その人にとっての明日の新聞かも知れない…
私もスケジュール帳を買ったりしたこともあったが 4月中盤から全く使わなくなるので 40歳を超えた頃には買うのを止めた
極端に考えれば「直下型の大地震が自分の身に起こる」とは 明日の新聞には絶対書かれていない「明日交通事故で死ぬ」「12月31日に10億円の宝くじが当たる」ことも…
つまり想定と想像の範囲の外は 明日の新聞には記載されていない
けれど 生きているのは今日であり 今この瞬間
あと5年も経てば 紙面を開くことなど無いだろうし
「明日の新聞」が想定内の事しか記載されていないのなら 「今日の新聞」もさして重要でもないのかもしれない
奇妙な生き物ではないか? 先進国の人々は
明日の新聞ばかり作り続けて 「今を生きていない」のだ
kei