kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「子どもが納得できないシステムは『正義』じゃない」

前回「世界を自分が作るなら」まで一足飛びしてしまったw

けれど 誰しも皆「世界を見 世界を想像し 世界を構成し 世界を創っている」 ただそれが「同一ではない」ではないという話で 同一でないことに 良し悪しなど簡単に言えるわけじゃない

アメリカだったか どこかの大学の先生が「人それぞれの正義があって然るべき」という意見に対し 猛反発した。その理由は簡単で「この意見を是とした場合 議論も起こらず 意見がまとまらなくなってしまう」からで「相違を出し合うだけで 何の変化もない」という点で 議論自体の否定になるからだと言っている。

私もこの意見に賛成する 「正義」とは言葉は一つでも 100人いれば100の正義の考えがあるのだろう でもそれをこすり合わせ摩擦熱をを起こしてでも 提案し合い 考え 何かを導き出さなければ「言葉そのものの否定」になる 人が生み出してしまった「言葉」であってみれば 人はその責任を取る必要がある

前回の記事は 「53歳の1人の男性の生活苦の状態 後半はそれに対する政府の救済政策の問題点」等が挙げられていた

例えば 当初 首相岸田は「所得倍増計画」と言い 最低賃金を引き上げようとした それが「資産所得倍増プラン」という言葉に変化した これは内容が全く違う 端的に言えば「2000兆円ある国民のタンス貯金を投資させ 経済を活性化させる」ことに主眼が置かれており 貧困状態にある人への救済にはつながっていない。と考えた方が妥当であり 「マクロ的」と言えば聞こえはいいが「ざるプラン」と言えばいいか 相も変わらず「大企業を支えることで傘下の中小企業にお零れが落ちる」という「Top to Down」式経済を支持し続けていると言えばいいのか…腑に落ちない

 

ただシンプルに「子どもが首を傾げるプランは その子が大人になった時の様相を想像すれば 『是』とすべきでない」と私は思っている

 

正社員だと年収500万 非正規雇用だと年収200万 労働内容が同一であるなら基本的には賃金も保証も近しい方がいい。これがおそらくは子どもが納得する考えだと思う 「契約」を論拠とする方法論では「契約そのものを是正できない」

 

大人はいつも子どもを「煙に巻き」「言いくるめる」

バブル崩壊 リーマンショックによる「就職氷河期」は小泉内閣から端を発し今も続いている 雇用者側にとって「安い賃金で いつでも首を切れる」非正規労働者は便利この上ない。

だがそれは 大人の言い訳であり 子どもは納得しない

「本質」は子どもが納得できるほどシンプルなものであるはずだ

なので岸田内閣が示すプランは 「正義ではない」

 

私は世界の物語を生み出そうとしたとして…

例えば 難破船が絶海の孤島にたどり着く 身重の女性が1人生きていて 2人の男女を出産する… こんなところから始めるかもしれない

それが世界の破滅後か 世界の始まりかはわからないが 物語は波乱と驚きがなければ成り立つわけがない その時私にとって「正義とは何か」も課題として問われることになる


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