kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「反対者・非難者・敵対者」

眼の調子も良くなってきたので、そろそろ描かなければなりません。

その間文章で誤魔化そうとする算段です。

 

5年続けている本家ブログで 宗教関係の記事を書いたら 連名で相当猛烈な非難メールが届きました。

私ごときに来るわけですから 小川さゆりさん(仮名)や鈴木エイトさんらは「胸を突き刺す多種多様な脅迫」の中で主張しているのだと容易に予想され その数も半端ではないでしょう。

イーロン・マスク氏のTwitter買収について「ヘイトスピーチを制限しない」みたいなことをご当人が言っていたような… これも結構ムズカシイ問題なのだと思います 「ヘイトスピーチ」の意味を調べれはいくらでも出てきますが その是非よりも 「それぞれの地域や環境という『日常』の中で育ち・学び続けた人という生物の 根深い場所に巣くっている思考と感情」であることは確かだろうと思うので 抑制したところでそれはネット上。ネットを介し影響は及ぼすでしょうが 現実世界では「嵐」と呼べるほどに荒れ狂い リアルに争っているのだろうと思います。

「信仰・宗教の自由」という憲法7条は 
「他信仰・他宗教批判・非難の自由」も同時に与えられているのか?

宗教話はこの辺にして

皆様は自分に対する反対者・非難者・敵対者をいかがお考えでしょうか

昨今はそのような相手を作らず 表面的には「周囲の人々と円滑な関係」を築くのが精一杯

ですが いずれかの時に本音はポロリと転がり落ちてしまうモノ

恋人関係や夫婦になれば顕著に顕れてくるもので「こんな相手じゃなかった」というコトが起きるわけですけれども ホモサピエンスの淘汰にしても 現代でも「反対者・非難者・敵対者」の主張・存在・行為が 数多の変革をもたらしていることは確かで それが無いと いったいどんな社会や世界になっていくのか想像も尽きません

友人から「先輩と言われる人々が 若い人やスイープ的な仕事をする人々を見下し 陰険なイジメをしている。それを見ているとイヤになる。」というメッセージが来ました 普段愚痴を殆ど言わない彼の言葉は 私の言よりも現実的かつ身近な話


私は「一番ウマいコーヒーの味わい方」を近頃やっと覚えました


豆は自分で挽いたトラジャ ボトルは350ccくらいしか入らないチビボトル それを食後空き時間を縫って 建物外に出て金網越しに外を眺めながら飲むとウマいのです。それは雨が降っていようが 疲れていようがいまいが関係ありません 職場の大部屋で飲むコーヒーはどんな豆だろうが 煮詰まっていようが味を感じません。なので何を飲んでも同じです。
どうしてなのかは明白です。「神経が味覚に向いていない。もしくは精神的にマトモな状態じゃないから」です。


マトモな状態でない=それが働くこと という風な感じになっている日本社会はマズイなぁ…
そりゃ その仕事が好きでイッちゃってるならいいんだけどもさ。そんな人は少ない気がします

で そのような人の日常を考えると 宗教にどハマりするのもうなづけますし ヘイトスピーチに熱中するのも アイドルの追っかけになるのも なんとなくわかります「色んな人がいる」是非・善悪抜きでそうなのでしょう

あ。なんか繰り言のようになってきましたね。

私の観点はただ一つ「ウマいコーヒーを味わえるか。そんな時間を持てるか。」に尽きます

緑茶でも紅茶でも酒でも同じです 一人でも友人と一緒でも職場でもおんなじ


www.youtube.com

 

kei