kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「2世」の深い闇

今朝は「悪夢2本立て」で目覚めた

仔細は触れるつもりはないが 配偶者がカルト宗教にハマり込んでいるのも知らず

ある時 背中と臀部にかけて刺青で漢字や梵字が大小の文字でギッシリ描かれていた

問い正しても 眼は既に狂信者の目になっており 引き戻しようがない…そんな夢

なぜこんな夢を見たのか…今もまだ判然としないが 多分「宗教2世」の問題のみならず「親という存在に押しつぶされる子」の苦しみについて あまり深く考えていなかったことを「夢」によって 思い出そうとしていたのだと思う

 

親から「アルバイトし ため続けた貯金を搾取される」

「しつけと称して鞭打たれたり 重篤なケガを負っても輸血が許されない」

これらは宗教がらみだが そうでない家庭でも似たことはあるのだろう

「医者の家系に生まれたので 何が何でも医者にならなければならないが大学に合格できない」

「由緒正しい家系に生まれたから 厳格な家系のルールから逸脱できない」

「ネグレクト(育児放棄)」も 反面教師として同類かも知れぬ

 

これらは2世にとって「苦」であり「呪い」だ

 

見知らぬ第三者にされるよりも はるかに苦しみを伴う呪いだと 夢を見て思った

 

過日 職場で「頭髪や服装の違反チェック」を受ける若者達を一瞬見た

ルールを知った上で入学してきたのだから それに準じるのは当然かもしれぬ

それから「宝塚」入学式 15倍以上の難関を乗り越えて合格した女子の集まり

髪はピンと整えられ 入学挨拶者の話し方も既に宝塚風 おそらくは「とてつもなく膨大な規則」があるのだろうと思われた…これも当人の希望なのか 親の希望なのか

 

ただひとつ奇妙に思うことはある それは「ルールのプライオリティ」

 

ルールにはプライオリティ すなわち「優先順位」があって然るべきだ

 

以前の記事に載せたが「日本国憲法3大原則」が 今の私にはルールの根幹として認識されている

憲法には「信仰・宗教の自由」が保障されている けれどそれによって「子の基本的人権」という生き方の自由を阻害するのなら 自身の宗教を強いるべきではないと思う

校則にしても同様で 大切なのは髪型よりも「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の方だ

 

だが 山ほどルールを設けてしまうと 子どもにとって「どのルールがプライオリティが高く どのルールが低いのかわからなくなってしまう。」これが問題なのだ

 

「イジメ? ふざけんな。」と私は思う れっきとした「基本的人権」と「平和主義」違反である

そして 宗教にドップリ浸かってしまった親は 自らの宗教がわが子にも幸福をもたらすと信じて疑わない…

 

「信じる」とは「ごく一面を見ただけで それが全体であると思い込むこと」と同義だと思う だから信じることは危険を伴う

 

それでも 2世の苦難は簡単に解決できる問題ではないだろう

「ロシアの教科書」のように「親の『愛情』のように」根深く 狂おしく 悲しい

 

kei

ロシアの教科書