kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「正しい」という言葉の怖さ

ブログを書き続けている理由に「これを読まれている方がいて もしわかるなら教えてほしい」という気持ちがあります

無責任なブログだ。といわれても仕方ないです

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さっき目覚め ベッドの中でこの記事を読んでいました

頭の中で「シーン」をイメージします

子どもが交通事故に遭い多量出血している 病院に連れて行こうとしながら ランドセルの中を調べ保護者の連絡先を見つけ出し 状況を説明する けれど親の返事は「病院にはかけつけるが輸血は待ってくれ」という

「しかし早くしないと…」と問答している時間さえなく病院に連れて行く そして間もなく親がやってきて「宗教上輸血は出来ない」と頑として拒む 問答の間に子どもは亡くなってしまう という愚かしくも悲しい話

 

…上記記事からすれば「ネグレクト」 なので輸血させないことは「法に抵触する」記事の題名からして頭からエホバの証人という宗教団体のこの考え方を「誤り」と断定しているのだと思います

私も助けられる可能性があるのに 目の前で子どもの命が消えていくことには賛成できません…ですがその子の両親を押し切ってまで輸血させられるか?と問われれば 私の考えは徐々にしぼんでいきます

 

以前の記事で南米奥地に住む「ヤノマミ」の話をしたかと思います 赤子を出産後 その子を育てるか 育てずアリに食べさせるかは産んだ母親が決めています 日本では「殺人罪」となりますが…

つい数か月前アメリカで揉めていた「人工妊娠中絶」の問題はどうなんでしょう

インカ時代盛んにおこなわれていた子どもの生贄は?

30数年前 バングラデシュでは「子どもの命は一頭の牛より安い」という話を聞きました

売買されたと思われる子達がいる現場にも行き それを見ました さらに怖ろしいのは「臓器提供のために子どもを売る」という話も友人から聞きました 今 かの国はどうなっているかわかりませんが…

 

先進国 人権尊重 法が整備され「人の平等」を謳っている国はむしろ少なく 日々の糧さえ危うい状況の中で存在している人々が数億人もいる これが今の地球

 

私は「正しい」という言葉に 警戒し 時に怖さを感じます 数学の世界ならいざ知らず

それと同時に「信じる」も警戒しているかもしれません

ただ 自分が「正しいことが分からぬ愚者」であることは イヤというほど知っています

 

なぜ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を以前のブログから引き継ぎ使っているかと言えば この物語がアイロニー(皮肉・反語)によって生まれたと思うからです

地獄に落ちた者達が一致団結して ゆっくり糸を昇って行けば皆天国にたどり着けたはずなのに… 現実世界でもあり得ないことが 地獄に落ちた者達に「できる」と考える方がムリというもの

作者が照らしているのは「地獄」ではなく「現実」

 

「正しい」ってなんでしょう……

 

ただ私が言えることは養老孟子氏が語った言葉だと思いますが

「自分の考えが正しい 反対の意見は間違いであると断じた時 思考はそれ以上進むことは無く 成長は止まる」ということでしょうか…

kei