kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「ひとりキャンプ」

昨日は知人の来訪が多く さながらパーティーのホストみたいな役回りだった

数十年来の知り合いから今の同僚に至るまでいろいろな人

その人ごとに話題がその頃に飛ぶので 時代や年代や事件やらピョンピョン飛び跳ねているようなのか 7時に閉館する時にはドッと疲れている

あまり経験したことのない疲れ いうなれば「受付嬢疲れ」かも知れぬ

ただ 会う人会う人 懐かしく 来訪してくれたことに深い感謝の念を抱く

 

その中で不思議と話が合い 静かに対話できたのが「ひとりキャンプ」をする同僚

その同僚も 私の同居人が「重い」といって嫌う「セメント作品」を好んだ

「コンクリートのヒビとか 消されかけの落書きとかいいよね~。」

同僚も美術をやっている人だったので 理由については言葉にする必要がなかった

そうして彼が時々する「ひとりキャンプ」の話に耳を傾けた

どこでできるか どんなふうにやるのか… 私もしてみたいと思った

ただ 絵を描いている時も”いわばひとりキャンプ”みたいなもので

言葉のない自分だけの世界にいることに関しては 似ていると同意した

彼は渉外の業務が多く 外出し他者とのネゴシエーションが多い

だから 「言葉・対話・会議」に辟易してしまい 疲れるのだろう

かくいう私も11時すぎに床についたら今朝4時に目が覚めた こういう時は決まって”誰かともめごとをしている夢”とかで 声が耳に響いて目が覚める

そんなことだから 病院とか弁護士モノとか恋愛モノのドラマなどは観ない

なんでわざわざ「感情的に高ぶった声を聞き、そんな場面を観たいだろう」

それを平然と見ている同居人を不思議に思う

 

絵はまだ新しいアイディアがポツンと一つあるだけで 直ぐに描きたいとは思わない

「言葉と対話」はもうお腹一杯

仕事に戻っても またその環境なのだから

4月になったら「ひとりキャンプ」に出かけたい

ただ 同じ軽でも ゆったり横になれる「ワゴン」がよかった 失敗だった。

kei