kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

言葉の一滴「 To be, or not to be: that is the question:」

外国生まれの人で日本語を本によって学ぶ人がいる。とどこかで聞いたことがあります。

日本語は元々話し言葉であった「やまとことば」に無理やり「漢字」という表音+表意文字を当てて構成されているので 話すことは容易でも「書く・読む」となれば世界の中でも屈指の難解な言語の部類に入るのじゃないかと思います

万葉集では「亜米利加」のように音の当て字として漢字が用いられていて 意味としては米とアメリカは全く関係なく 古今和歌集あたりで 漢字を崩した「平仮名」が充実し始め 日本語の書き言葉が成立していった…と聞いたことがあります。

さて なぜこのように難解な日本語をコミュニケーションのためでなく 言語として学ぶ外国人が少なからずいるか と言えば「日本語の精緻さ・正確さ」にあると言われており 原書が英語で書かれた書物があったとして それよりも「日本語訳」のほうが理解しやすいということがあるからだそうです。こうしてタイプしても日本語は難しく 学齢期 そのせいで英語を学ぶ余裕がなかったのかも知れないと思う事があります けど言い訳でしょう…これは

 

あ…今までのは表題とは関係なく前置きでした。

 

To be, or not to be: that is the question:

シェイクスピアハムレット」の名セリフ

最も一般的な日本語訳は「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ。」ですが、1900年代初頭ごろから「生死」を用いた訳が出始め、それは現代訳も似た感じです

ただし この訳が正しいかどうか…は別の話

to be or not to be = なるかどうか

直訳はこうなので 生きるも何も書いているわけではありません

なのでこのような訳をした人がいます

 

 先に行くか、やめるか、それが問題だ。
 どちらがこの心にふさわしいのか
 耐え忍ぶのか、戦うのか、さあ、どっちだ。
 それとも、消えてしまうか。
 死は眠りに過ぎない。眠りへ入ると、心の痛みも、肉体につきまとう数知れない苦しみからも逃れられる。
それこそ、願ってもないことだ。
 死ぬ、眠る・・・眠ると夢が待っている。そこが気にかかる。
一体、死という眠りの中でどんな夢が待ち受けているのか。
やっと幕が下りた、これでおしまい、そう思った矢先、
まだ先があると告げられる。                                幕は自分では下ろすことが出来ない。
神が定めた場所までたどり着かないと、幕は下りない。                    そう思うから、この辛い人生を終わりにはできない、そして生き続ける。              でなければ、誰が我慢するものか、
 有象無象のはびこる世間
 高慢無礼な権力者
 不実な恋、だらだらと長いばかりの裁判
  役人の横柄
 ものがわかった人間は黙り込み
 くだらぬ輩は言いたい放題
 そんなこの世とはさっさとおさらばしたい
 短剣の一突きがすべてを終わりにできる
 まともな人間なら誰だってそう思う
 何のための我慢だ、何のための忍耐だ、
 この先行っても、いいことなんか何もない
 不愉快と忍耐ばかりが待ち受けている
 だが死んだらどこへ行くのか
 何が待ち受けているか
そう思うと、気持ちがゆらぐ
そしてまた、果てしなく続くがれきの坂を重い足取りで登りはじめる。
見たこともない世界で苦労するよりは、まだしも生まれ落ちたこの世で苦労したほうがましだ。
こうして心に起きたためらいが決意を押しとどめ、決意は臆病へと姿を変える。
行動へと突き進むべき決意は、青ざめた思考に染められ、 たちまち萎れ、歴史を変えるべき重大な企ても、実行の時を逸してしまうことになる。
なぜ、そこに!
 美しいオフィーリア、森の妖精
その祈りの中に俺の罪の許しも込めてくれ。

 

少し長かったですね

でも一連の歌のようで切り取れませんでした

 

「翻訳」は奇妙にして 面白い仕事だと私は思います。

 

本来であればシェイクスピアの言葉だけが真実で 訳してしまうと別な意味に変容してしまう可能性があるからですが 原文全てを訳者が熟知した時 作品の核心を捉えた時 名訳が生じるのでしょう

ガルシア=マルケスの訳は「鼓直氏」 サリンジャーの小説は「野崎孝氏」訳が読みやすく「お見事」と感じ入ります

 

人の言葉の一片を切り取って ああでもない こうでもない…とSNS等で言葉を飛ばし合う今

言葉の一片は「泉の中の一滴」のように思え

泉そのものではないと 私は考えています。

 

う~。なんか一つ仕事が舞い込みそうな感じ 貧乏暮らしの身としては「画家」としてやっていけるかどうか これもやっぱり「則天去私」または「Let it be」でしょうか…

 

ジョン・エバレット・ミレー  「オフィーリア」