kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「脳化」

この言葉も 養老孟子氏が用いた言葉です 自分にも当てはまる気がして引っかかっています

「脳化」⇒もっと端的にいえば「頭でっかち」≒なんでも頭の中で処理・決定してしまう ということになるのでしょう

ですが脳は五感を通じてinputされる情報を処理するわけですから 五感も脳に大きな影響を与えているとのこと… 

例えば赤ん坊は「距離感を移動と視覚を通じて学ぶ」

遠くから見て指より小さく見える建物を 当初は本当にそのように小さいと理解する だが近づいてみると自分よりはるかに大きく中に入れることが分かる

このような学習を通じて「小さく見えた建物と入ることができる建物が同一である」と知り 距離によって見え方が違うのだと学ぶ  小児まひで天井を仰ぎながら寝ているしかなかった幼子を 抱いて移動するようになったら 急に話せるようになった という例も紹介している さらには目を開けることも 唇を開いて話すことも「筋肉運動」の一つなのだから 骨や筋肉がなければ脳に影響を与えることはない というようなことも言っていました

 

その通りだと思いましたが 「高度情報化社会」と言われる現代との整合性はどうなるのでしょう

 

山のように入ってくる様々な情報 そのベクトルも ベクトルの発生したポイントもバラバラ…

まともに取り込めば「頭が爆発しかねない」 そんな量

 

公園でランニングをしている人 散歩している人を見る それは幼子が移動しながら脳に情報伝達している行為と類似している つまりはその人なりに「脳化」を抑制しようとしているのだろう と感じます

 

私も怠け者体質なので すぐ「脳化」をやらかしてしまう

 

若い人々の死亡原因の一位が自殺である という現実と「脳化」には関連性があるのでは…と氏は述べています 結婚・出産率の低下もコレに関わっていると推察され 子育て支援にいくら国費を費やしたとて 果たして解決できるモノかどうか 怪しいです

 

だからでしょうか「考える」「思う」ということを 殊更に「重要」と判じてはいけないのだろうと思います ただでさえ「頭でっかち」で身体的バランスの悪い現代人であってみれば…

 

今日メキシコに勝った日本「大谷選手」は「脳化していない人の象徴」なのだと思います それは世界に伝わっている事でしょう

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