kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「=(イコール)の怖さ」

同じ人間など居るわけがないのに 数学世界には当たり前のようにある=という概念

以前「3+4=3+4」という記事を載せて バカだと思われた方もいるかも…

3+4=7 これは数学の基礎概念であり 「前提」である

 

√2の場合 √2=1.41421356 とはならず √2≒1.41421356となる

πについても おそらく同様で 非循環小数となるだろう…

 

こうして考えると=の意味は深い

 

そう言えば「関数」というのもあったっけ…

数二つの変数 x・y の間に,ある対応関係があって,x の値が定まるとそれに対応して y の値が従属的に定まる。

x=7y もまた関数 

これは ウクライナ兵の死者数をyとし ロシア兵死者数をxとした場合の関数

≒が妥当だろうが… こうして「命を数値化できる」わけだ

 

1977年9月28日 日本赤軍が起こした「ダッカ日航機ハイジャック事件

私が2年暮らしたバングラデシュの首都

10月1日に福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と述べて、16億円の身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めた。

1人の人間の命が地球よりも重い。…とは思わないが キャッチとしてはアリだろう

 

E=mc二乗 という アインシュタインが導き出した関数は「原爆」を生み出した

ここでの=という記号はとんでもない

 

AIを含めたコンピューターテクノロジーが作り上げる世界は =の世界とも言える

 

人間の中に 本当に=(イコール)があるんだろうか…

 

例えば私の死の瞬間「私は世界と=になる。または本来そうだった」と感じるんだろうか

それとも「=など何もなかった。」と感じるんだろうか…

 

kei