知能の年齢を一般的にはIQと呼ぶのかも知れないし
「精神年齢」という なんだかよくわからない年齢査定もあるようですが…
「心の年齢」というものがあるような気がします
我が子か高校時代国語の教科書に 志賀直哉「城の崎にて」が載っていました
親である私は「濠端の家」という短編だけを読み スゴイ作家だと知っていたくらいでしたが 教科書をひったくり「城の崎にて」を読んで 驚きました
「文章の才の極致」 私は圧倒されました
『城の崎にて』(全文) - 咖啡日语 (coffeejp.com
そうして 我が子に尋ねてみました「この小説のスゴさわかるかい?」と…
子はボヤ~ンとした表情で「ううん…」と答えました
コレを高校で教えることの意味について考えさせられました ごくわずかの生徒には志賀直哉という作家の奥深さを伝えることができるだろう でも大半には…?
読解力があっても 漢字が読めても 高校生という年齢ではこの短編の理解は難しい
私が高校生 いえ 大学生であったなら 到底わからなかった気がします
「太宰治」「芥川龍之介」「夏目漱石」ほどの力があれば若い内から理解できたのでしょうが…そしてよく本を読み深く理解する若い人であれば 感じ取れたのでしょう
私にはそんな才はありませんでした
それで ふと思ったのです「心の年齢」というものがあるのじゃないかと
それは「老い」「認知症」とは全く異なる方向性の成熟であり
ムダなものを削ぎ落した 構えを取らない自然体 核を的確にとらえる心
普通 それはある程度年齢を重ねないと よくわからないのかも知れないと思うのです
養老孟子氏の言葉からもそれを感じたりもしていますし…
ボケていきながらも 心は成熟していくと いいなぁ…と思っています
パブロ=ピカソ 最後の絵「若い画家」
kei