kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「オートウォーク」

日本語に訳してもヘンな名前「自動歩行」 いや それって「歩行になんの?」

このヘンチクリンな名前の正体は これ。

空港なんかで自分もよく利用していた

空いている時なんか オートウォーク上で歩くとさらに加速し ちょっと不思議な気分になる おぉ…そうかこれが「特殊相対性理論」ってわけだな。 とか感じたりをするが 屈強な男子でなくても敢えてコレを使用せず 歩いて移動する人々もいる その理由は千差万別だろうから考えても仕方がない

 

「止まっているのに動いている」 シャワーを浴びながら考えていると

「これって当たり前じゃねえの?」と思ったりもした 

極端な解釈だが「生きとし生ける者全て 時間というオートウォークに乗っかっちゃってるんじゃねぇべか。」

 

夏休みに入ってから 殆どゴロゴロして何もしていない 即ち「停止状態」

しかし 地球は回り続け 宇宙は広がり続け 熱力学第二法則は働き続けているわけなでので「時間は存在していることになる」

だからなにもオートウォークに乗らなくても 宇宙の中の地球が「オートウォーク」ってわけで ご高齢で息も絶え絶え誰かがそこで倒れたとしても オートウォークは動き続ける 運悪くご臨終となり 葬儀を行い 荼毘に伏し「灰」になっても オートウォーク上に壺がポツンと載って移動しつづけていることになる

 

「生きるということは歩むということ」  まぁ…そうなんだと思う

「家に引きこもってばかりいないで 外の世界を見たらどうだ」 はぁ…そうかも

でもみんなみんなオートウォークに乗ってるんだ

その上で「何かを成し遂げること」「誰かを愛し続けること」というような 生きている間の「糧」を持つことは良い事なんだと思う

 

でもなんでだろう

 

今の私は一方方向に進む足元が気になる  行き先は気にならない

 

kei

今朝久しぶりに描く 進度としては10分の1もいってないかも ただオートウォークに乗ってる気で描いた