現在 私が頭を垂れて話を聞く人の一人が「養老孟子」氏です
86歳を迎え 言葉はさらに「切れる言葉」に変わっているのが分かります
「切れる」とは研ぎ澄まされたカミソリというのとは違い
「銘刀」とも違う気がします 「モソッとした山刀なのにスパッと切れる」感じでしょうか
私の言葉など氏の言葉と比較しようもないので 記事をそのまま載せます
科学技術の進歩と共に「死をタブー視していく」日本 「死」のシミュレーションだけは避けて通る日本
催し物をするにしろ 発表するにしろ 日本人はシミュレーションをしないと安心できない
ニュース記事は数多「いくら持っていれば安心して暮らせるか という金銭シミュレーション」は枚挙に暇がなく
その物量を冷静に考えれば「これこそが病気」なのだと 氏に改めて教えて貰いました
シミュレーション社会は病んでおり 病んでいるからこそシミュレーションが必須 バカバカしい話です
あと「不安や矛盾を受け入れるのが(人間としての)成熟(である)」という言葉にも 心を動かされました 「試考で乗り切る」のではなく「不安と矛盾を抱え込んでいてこそ当たり前」と言いたいのだと思います
不安や社会や職場の矛盾を「あ~だ。こ~だ。」と言っている間に 自然災害が襲ってきたら?
何が肝要か人は見抜けるでしょうか…
生きることで「生」をシミュレートしているのでしょうか…(笑)
「高校生」という若者たちは 授業中「ゲーム」というシミュレーションをやり続けながら生きるという 逆様をやっています
kei