kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「今日のハイデガー⑧ 『存在』 球体」

2019年05月04日記事

この連休でこの哲学者の名前を連発したために 少し真面目に調べなければならなくなった

その感想を率直に述べると「難しくてよくわかんね。」であるが 

私の生 仕事 様々な事に絡む 般若心経のような存在だと思い始めている


1 人物

マルティン・ハイデッガーとは19〜20世紀のドイツの哲学者です。哲学をはじめ現象学形而上学、存在学などを中心に幅広く多岐に渡った研究をしており、その影響力は大きく、世界中の哲学者や思想家、精神科医にまで影響を与えています。そしてハイデガーの著書である「存在と時間」は20世紀最高の哲学書と称され、存在とは何かについて論じました。


2 悪魔祓い

近頃アメリカ合衆国では「悪魔憑き」という事件が多発しており それに応じて
エクソシストの需要も増え大盛況だそうだ
私流に考えれば 悪魔は「聖ゲオルギウス」という聖画から生まれたようなもんだ
ゲオルギウスが馬上から竜を槍で突くあの絵は 聖画でもなんでもない
エスご当人がその絵を見たら「なにこれ?」としか言わないだろうと思う
善を意識するから悪が生まれる イエスはそんな二極論的な小さな器の持ち主じゃない


3 墓

午後から夕方にかけて細君と散歩がてら墓の多い細い道を通りながらスーパーにでかけた
何代・何人もの一族が眠る墓は歴史を感じさせる 
が これらをつぶして更地にしてしまえば 50坪2000万ほどの宅地として
売れるだろうな と思った 


4 表題について

ハイデガーの哲学の10分の1も私は理解していないだろう そして感覚的にはさらに低い
彼に言わせると
「あるものが存在する」ということ自体誤りで 「存在する」を肯定すると
「存在しない」という存在も発生することになる すなわち 悪魔が生じた理由と同じ
なので「存在しているもの・していないもの」を原点とせず「存在そのもの」から彼は考える
それを例えるなら 「表裏同色のオセロ」か「メビウスの輪」か「球体」だろうと・・・


5 存在

「存在」はハイデガーにとって大切なワード
彼は言うだろう 死者は「存在していない」ではなく「存在ではない」と
または骨とかカルシウムとして存在していると
とすると私と縁のあった故人は思い出であって 存在ではない
私の父はDNAとして存在しているだけであって 無という存在ですらない


6 生きている

ハイデガーが生きているということを特別に捉え大切にせよ。といったのは
「今この瞬間 存在と時間」と同化しているから ということなんだろうと思う


え? 頭がパーになってきた・・・と?

しかし「私は存在そのもの」   存在してるのじゃない 今は宇宙・地球と同化した存在

このような言葉の違いは実は全く異なる結論を導き出すのじゃないかと思っている

なんとなく二元論を否定する般若心経に類したものを感じる

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