kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「30年後の人の心」

私が小学生の頃 半世紀前の小学校のある教室には「灰皿」があった  授業中でも吸っていたんじゃないかと思われ 吸殻を日直の児童に片づけさせていたのじゃないかと思う これを今の学校でやれば先生は多分「クビ」

今より更に遡ること80数年前 戦争をしていた軍隊の中で 何が常識で 何が非常識なのか想像を絶するところがある 上官には絶対服従 「鉄拳制裁」は当たり前「日本人が敵ではなく 日本人に殴り殺される」ということだってあっただろうし 上官であるという理由で 殺人行為を罪にさえ問われなかった…ということもあっただろう

「常識」は流動し 変化し続ける  だからだろうか…

「テクノロジーの未来は予測できても それと共にある人の心はよくわからない」

 

半世紀以上前 「昭和ちびっこ未来画報 ぼくらの21世紀」という子ども向けの本が刊行されていた

『コンピューター学校出現!!』(1969年、小松崎茂氏)

ドでかいリール型のコンピューターが前面に置かれているのは「象徴」として笑えるものの 「不正解すると ロボットにゲンコツを食らう」という様子は 笑いとは別の感性である 先生がやると『体罰』になるからコンピューターロボットが殴っているわけではない 「教えるために殴る」という行為が未来でも当然にある と勘違いをしているのだ

『事故0(ゼロ)のハイウェー』(1969年、小松崎茂氏)

3色カラーで チィと見にくい絵だが 巨大ロボットがスピード違反した自動車を掴み上げている「高速で動いている車を突然空中に掴み上げる」という物理現象を想像すれば そんなことされたら中に載っている人々が事故ってんじゃねえの? と思うくらい危険な行為のような気がする 全体としては「巨大ロボットに高速道路を侵略されている様子」にしか見えない

 

これら2つの絵を見て 笑ってしまう。 でも 笑えない

「人の想像力や常識といったものが その時々の世相 世論にどれほど流されやすいか それが正しいと信じてしまいやすいか」が この絵を見てわかるからだ

テクノロジーは向こう30年 予想できるかもしれない

けれど「30年後の社会の常識が 30年後の我が子の心がどうなっているか 何を思い 何を信じているのか」はわからない

50年後 100年後…尚更わからない。

子を産み命を繋ぐことは人類存亡という意味でも 人類にとって重要だが 同じような人間であり続けることはできない

 

20年後 医学によって「不死の人間を生み出せる」という人もいるが それこそ不気味極まりない話である 不死の人類が世界を覆えば それは「時間が止まった」ようなものかもしれない

 

フリップ・K・ディックの数々の著作や 1932年に刊行されたオルダス・ハックスリー著「すばらしい新世界」は「時間の流動性と人間の普遍性」の考察に一役買ってくれるかもしれない

ただし 24時間で1回転する地球は広い 今でも授業中タバコを吸う先生がどこかにいることだろう… 

kei