kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「ポジ」「ネガ」

6時前に起きてしまい いつもの外出より遅れて着替えて外へ出たら 雨だった

「ルーティン」が出来上がってしまっても 今の私にはさほどいいわけでもないので「成り行き任せ」も悪くない 夜晴れたら走ることにしよう

 

仕事を辞めて無職の日々が続くと 色々思い 考える 嘆くことはないけれど これに本州引っ越しが絡んでいるので 考えられることも限られるかたわら 事前にやらなければいけないことが存外に多い マンションの敷地は駐車場がすでに満杯で 毎年年末に「くじ引き」で決めるとか…途中参加の場合はくじ引きの権利がないので 自分で見つけなければならない ところが巨大なマンション群が立ち並ぶその街 どこに電話をかけても「空きがない」地下鉄駅より遠い場所でもナシ。と数社から返事が返ってきた 仕方なく取引した不動産会社の知己の方から miniminiと名乗る小さな駐車場がある と聞き早速5月から契約することとなった 入居する1か月前から契約しないと確保できないという有様 だが存外に近い場所で プロの腕前を見せてもらった。

 

こんなのは一つの例で家の中はゴチャゴチャ クーラー取り外や粗大ごみ捨てなど 今から申し込んだりやることは大小多岐に渡る 「不安定生活」を送っている

 

生活が不安定だと 精神が不安定になるというわけでもなく 「思考が天邪鬼的になる」これが私特有の反応で いや…「安定生活」でも同様かも知れない

ハイデガーから始まり 学校無償化のことまで「天邪鬼」的に考えてしまう

ただし 私にとって天邪鬼は 絵を描くにしろ 音楽や詩や物語…ともかく新しいものを生み出す時に「必須」な性格で 「描いた後『逆様』にしたら完成した」というのも珍しくない

学校無償化は上手くいくだろうか? そりゃ楽になるだろうが。

 

今教育学を教えている 義理の息子から薦められて数十ページまで読んでいる「イヴァン・イリッチ」の「脱学校の社会 1971」を読むと 小~高校まで無償化しても「少子化問題」「学力問題」等 大事な問題は解決しない。ということになる それは「教育を学校に依存する社会構造そのもの」が問題だからだ ということになるだろう 

社会は「学校化」されており 人々の基本的な要求が「制度に置き換えられている」と指摘し 学校のような制度ではなく 個々人が自律的に自由に活動できる「相互親和的」な制度を作るべきだと提案している

実際 彼はアメリカ合衆国で膨大な教育予算を投入し それで「失敗」した例を挙げている

「大局的には解決されないだろう」と私が予想する根拠は 色々ある

その一例は「知能」の問題かもしれぬ 一般的には「知能は50%遺伝が影響 残りの50%は環境的要因」と言われているが DNAレベルで調べた場合80%遺伝が影響していると説いている学者もいる 「富裕層が富裕層と結婚する」という例は枚挙に暇がないが 知能も同様だとしたら? 「知能の相違」という2つの異なる渦は混ざり合うことは少ないと考えた方が妥当なのかも知れない

まぁ イリッチも「学校制度の否定」という天邪鬼なのだから 私と同類かも知れない

ただ 今の世界が「ポジ的世界」だとしたら 「ネガ」の見え方も必要だと思う

「ポジティブ」が好く「ネガティブ」はよろしくない。 それは上っ面だろ?と私は思う

片方の目でポジを見 もう片方の目でネガを見ているほうが 案外普通で それでいて「頭がパー」にならなきゃ なんとかやっていけるというものだ

 

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