kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「命の保証」

一昨日は若い2人とステーキを食べ

昨日は年齢の近い現役教師連中4人と和食を食べた

送別会 だから…と言って奢ってもらってしまったが 当人は全くその気がない

沖縄本島の北端「辺戸岬」に行くのと 名古屋国際空港から沖縄に戻る時間は大体同じ

奈良時代 江戸時代 明治時代 そして現代 「距離」と「時間」の相関性は全く変わってしまったのだから 遠くの離島にでも住まぬ限り どこにいても大して変わらないし さよならを言う必要もないので「サヨナラは無しで」と伝え 名古屋に来たら ガイド役と美味いモノでも食べに来てくれと誘った

同僚世代の友人の話では「定年まであんまり働きたくない」という声が多かった もう教師でも人間でもなく「システムの一つ」にされているのを ベテランであればあるほど実感しているからだろう…でもそうなることで生きている実感が湧くかどうかは別なので 「どうかなぁ…先はわかんない」と異口同音で語っていた

若い世代との2人との対話は 同じ教育関係だけれど 高度情報化社会の話から 現代のアニメはポリゴンによってまず風景を作るので それをドローンが撮影しているのと同様にダイナミックな風景や表現ができるようになって 随分と変わったね。そして1人は「それよりもアニメ 転生モノばかりでヤバイ。若い人たちの心ヤバいよね!」と言っていた…ただやっぱり「先のことはわかんないし とりあえず。なんだよね」ということになった

以前も書いたので重複することになるが ここ2日間の友人との話の中で 益々実感した

「とりあえず朝起き、とりあえず学校へ行き、とりあえずイジメたり、とりあえずカラオケに行ってハジけたり、とりあえず家に帰るとそこは重たい現実で とりあえず自殺してみる。…大丈夫『転生したら人外の超能力者になってるから』」

最後の部分がおかしい。

 

何百回も過ちはおかせるし 何千回も失敗はできるが 1回しか死ねない。 転生世界の存在を証明した人は 人類開闢以来誰もいない。だから「とりあえず 生きる」

私は 教えることはおろか「誰かを救える」とは全く思えない そんな力も頭もない

沖縄は3日前までは毎日土砂降りが続いた スーパーが連なる場所には「ひさし」がある

これで雨から守ってくれ 雨に濡れない「保証」をしてくれるわけだ?

でも どこにでも ひさしがあるわけない

「保証」とは 類人猿に近い動物が とりあえず生み出した概念であり 「幻」

上を見上げれば 空しかない

 

kei