kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「側に誰か」

今は右目は閉じた状態で、左目だけでタイプしています。
今朝はゆっくり起き8:30過ぎだったでしょうか 何故か右目が開かないのです
それは相当な痛みのためで 無理に開けようとすると涙が止まらず
涙がとまらないと 鼻水が出続けます
正月三賀日も返上し 1月末の個展のために
絵を描かなきゃならないのに 「こりゃマズイ」と思ったので
家内に頼んで眼科を検索してもらい(なぜか水曜定休日が多い)
ティッシュ箱と複数のマスクと鼻水や涙を拭き取り入れるポリ袋
これらを持ってもらい 手すりを伝い階下まで降り
午前中だけ開いている眼科を見つけて行きました
眼科についても 閉じた右目から涙が流れ出ている状態なので
視力検査は後回しにしてもらい すぐ医師検診を受けました

「眼球には痛覚がない」と思っていたのですが 閉じたままでも痛い
目にゴミが入ったままだと 眠っている間に眼球を傷つけ強い痛みが起こる
…と医師は言い
そう言えば小学2年の頃「逆まつげ」で急に視界がぼやけ
それ以来 視力が低下したままだと医師に告げたら
問題の右目を調べてもらうと「逆まつげ 数本ありますね」と言われ
4,5本抜いて貰う では抜けたまつげが目の中に入っていたのか?
と考えましたが 50年以来突然起こるのも奇妙だし 振り返ってみれば
昨日「セメントの粉」を混ぜ込むときに 煙のように粉が舞ったからでは
と推理し始めました
医者は塩分を含んだ目薬を点眼してくれ やっと目を開けることができました
軟膏と2種の点眼薬を処方され 帰途に着き 上り途中 階段で転びました

右目はまだボヤケて使いものになりませんが
私は 過去のブログで「人は死ぬ時 部屋に一人きりでも 家族に手を握って貰っても 結局その時死ぬのは自分だけだから『孤独死』という思いに囚われなくてもいいのではないか?」と書きました
でも 今はそれは間違いではないか と感じています
今朝 家内がそばにいなかったら 私は突然のことで パニックだったでしょう
涙と鼻水は止まらない 右目が痛くて開かない 
これでは病院を探すのも一苦労ですし 何より車を運転して行けません
なら タクシーを呼べばいい という事になるのでしょうが
「眼が命」の私にとって 不安を膨らませ続け 動揺しながら行くことになります

”そばに誰かいてくれる”  その有難さを今日あらためて感じました

私は弱い人間なのでしょう 「おひとり様」では生きられるかどうか
オーデンの詩のように「人は貧しく不安で弱いから肩を寄せ合い生きようとする」
それは「愛」などという抽象的な脳のイリュージョンによるのではなく
「生きるために」一つ屋根の下で暮らすのだと思います

だからでしょうか 
「経済的に自立している」ことが幸か不幸か 私にはわかりません

次の記事でオーデンの詩を紹介したいと思います 第二次世界大戦開戦初日の詩を

 

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