kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

[蓋」 ~作品整理に忙殺される~

今日一日は個展に出品する作品の裏側に紐を張ったり、題名を転記しキャプション作りの準備をしたり、そんなこんなで今まで時間がかかりました。

本気で絵を描き始めたのはつい3年程前。

仕事を抱えていると、集中できず土日も描かずダラダラ過ごしていました。

ただ、3年程前から「退職」が脳裏にあるためか、絵を再び描き始めるようになりました。ただし「たまに…」ですが。

個展をするには点数が足りないのじゃないか。と思い慌てて描いている最中ですが、一応出せそうなのは50点以上あり、思ったよりも描いたのだと気づきました。

今となっては、出来栄えに不満なモノが少なからずありますが、過去の自分をそのまま引き受けるという意味でも、手をつけずにいておこうかと思います。

 

見に来た方は驚くかもしれません。 「画風がバラバラ。」

 

抽象・具象の区別など当然あるわけもなく。(というかこの概念は概ね正しいのかも知れませんが、突き詰めて考えると「こんな類別はない」と思われます。仮に具象画として1本の木を描いたとして、本当の具象は葉っぱ1枚1枚全て写し描く。ということになり、対象を見て描こうが描くまいが、所詮は具象という極と抽象という対極の間を揺れ動いているにすぎず、白でも黒でもなくすべてはグレーのグラデーション)

意匠もバラけています。なので何も知らずに展示室に入ってきた方は複数人の作者が描いた。と感じるかもしれません。(いずれ販売を。と企んでいるので、大作は殆ど描きませんでしたw 以前公募展等に出した100号以上の大作は99%粗大ゴミ)

このようなバラバラ意匠の制作を行って高い評価を受けたのは、多分パブロ・ピカソくらいで、先ずは自分の画風を確立し、それを突き詰めていった方が画家としては確実に成功しやすい。のは分かっています。 でも今はそれをしたいと考えていません。

 

それはきっと「今を忘れてしまうから」なんだと感じます。

 

私は現代を生きています。自分の画風の確立よりもそちらが大切で、ロシアのウクライナ侵攻は、自身に自覚できない部分にダメージを受けました。

こんな作品を出そうとしています。

娘が幼い頃に座ってガラスを割り、裸の内裏雛が置かれていたその台を用い、本物の枯れ葉に着色し、このように仕上げました。この画像では上に載せられた草花は合成ですが、本番は小菊を3,4本等間隔に配置し、作品自体もフロア床面に置くつもりです。

ギャラリーという場所は動植物持ち込みは禁止。防虫のため注意が払われています。ですが、直接床面に置かず毎日花を替え、消毒もしっかり行う。という約束で何とか許可を貰いました。

これは私にとって「絵」なのか 何なのか… 

でも 言葉に出来ないから、こうするしかなかっただけのこと。

思惑通りに展示できても、何一つ解放感など持てません。

今 極寒の中で生き、この「蓋」のように、幼子さえ命が失われることを想像すれば

「芸術」という言葉さえ、どんな意味を持つものだったのか…忘れてしまいます

 

kei