kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「死の瞬間からの逆算」

人間が好きか?と問われれば 動物の方が好きかもしれない 爬虫類はなぜかあんまり… 哺乳類が好きだ 多分「もの言わず行動で生きるから」だと思う

言葉という「不純物」が混ざり合っていない分 正直だと感じるから…かな。

とは言っても自分は人間だから 人間に関心を持たざるを得ず 特に自分の事では考えたり 困ったり 笑ったり 怒ったりと ともかくいろいろな心を持ち それが行動の元となっている 50歳頃から なぜか手押し車を押しながらノロノロあるいているお婆ちゃんとか 公園で生活している人とか…そんな人が気になるようになった 見て見ぬふりをしながら見ている 若い人々も悪くはないが どちらかと言えば「老境に達した人々」の方に注意が行ってしまう

「自分もいずれあのようになる」

 

前々回の「サンタクロース」の記事はあんまり人気が無いのは書く前からわかっていた

言ってることがヘンだから

ただ あのような発想は「死の瞬間」を想定して生じたからだった

人は死ぬ瞬間「現実を生きているか?」 私はそうは思わない

では「非現実を生きているか」といえば そうとも思わない

立花隆の「臨死体験」を読んだ 大概忘れてしまったが 臨死状態から戻ってきた人々の話では 「三途の川」だとか「光に包まれた」とか 制服を着て働く労働者や学生とは違ったものを見るようだ いや…見るのではなく体験したのだろう

「帰る!」といってベッドから身を起こしてそのまま死んだ父親のことも そうかもしれない 一体どこに帰ろうとしたんだ?と尋ねたくなる

死の前多くの人が「水を欲しがる」という なぜだろう…

 

…とこんなことを考えていたら 「人間にとって本当とはなんなのか 真実とはどういったものなのか」よくわからなくなってきた

 

人を殺す者 狂信者とか これらの人は本当に今 現実を生きているのか?

人は千差万別である それに対し「常識」やら「社会通念」といったものがどれ程浸透しているのか…言葉ほどには染み透っていない気もし 死の瞬間ともなれば「無関係なこと どうでもいいこと」に変わる ならば今生きている私も 人々も「マトモに生きている間はマトモに社会に存在している」という不安定な論拠と思い込みの中で生きているだけではないか…と感じてしまう 

今ニュースを賑わせている様々なこと 収賄だ 7億ドルだ 超美少だ…って。死から逆算すれば さして騒ぎ立てることでもないし

今 餓死寸前の人々 戦って死の夢を見ている人々。 そちら側から「生」について考えた方が 案外マトモに生きられる気もしなくもない…

 

クリスマスだからやっぱコレ?


www.youtube.com  歌より松原のギターがカッコイイのでこちらを…


www.youtube.com

山下達郎のほうが クラシカルという点でも王道かな?

 

今 生きている人々へ メリークリスマス!

 

kei