kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「この国の不寛容の果てに」精神科医 森川すいめい

2020年06月06日記事

今日の午後のTVに『こころの時代~宗教・人生~「対話の旅に導かれて」』という主に森川医師のインタビューを中心とした番組をやっぱり途中から観た。途中からであったが、その一言一言が印象に残った。先ずは彼自身の来歴を以下に書こうと思う。

年齢は現在40歳を過ぎたころだと思われる。

細身、頭部に至ってはしゃれこうべの形が察せられるほどに薄い皮膜で覆われた顔という印象。
台湾人の父と日本人の母を両親として生まれ、台湾人の父親は「独善家のDVの典型」だったと彼は述懐している。母親の頭を掴み、車のドアに何度もドン!と挟み付ける。自分もまた暴力を振るわれ続け、小学生時代は心が歪み、学校では「嘘つきのひねくれもの」となり、イジメの対象にもなったそうだ。父親への印象は「ただ、殺したい」としか考えず、実際包丁を持ち出したこともあったそうな。
こうして彼はPTSDを抱え込んだまま、勉強もろくにせず、うつ傾向のまま大学受験し落ち、父親の命令通り「鍼灸師専門の大学」に入学する。そこで初めて一つの機会に出会う。「ホームレスの人々との出会いとそのヴォランティア活動への参加」である。そこで、活動しながら日本の、世界の、そして自分自身の無力さと苦も体験する。
そして自分の弱さを痛感し、もっと「力」が必要だと考え始める。力とは能力であり、発言力であり、職業だった。それを彼は「もっと強い剣、鎧、盾が必要だと考えた」と言っている。
その頃、幼いころから自分を愛し、かばい続けた母親が大腸がんで入院する。見る見るやせ細っていく妻に対しDV夫は「ただの体調不良」と断じた。しかし病気は悪化し、大腸が破裂した時にやっと入院することになる。息子は週に1回程度母親を見舞いに行く、がんの状況は進んでいくばかりで余命のカウントダウンは終盤であったが、その見舞いの時、母親はいきなりブツブツと繰り言を言い始め、それが止まらなくなる。息子はそれに耐えられなくなり、とうとう「うるさい」と口走ってしまう。それが最後の見舞いとなってしまった。
その後2年の鍼灸院を続けるが、より強い武具を得るために猛勉強をし、彼は医大を受験し合格する。
6年の後インターンとして病院に赴くが、また「やるせない現実」に突き当たったり、あまりに傲慢で不適格と感じられる先輩医師に向かって「あなたは医者じゃない」と言い放つ。その後、うつ病を再発させ、病院を辞めさせられる瀬戸際まで追い込まれるが、周囲の助力もあり何とか首は繋がる。しかし、ヴォランティア活動や自分のPTSDうつ病等を考慮したのか精神科医の道を選ぶ。
そして彼は病院でも「苦しむ現実」とぶつかり、躓きながら今度は世界を見て回る。最初はヨーロッパ、そして徐々にアフリカ、アジア等にも赴き世界を知る。
その後、彼の転機となる事件が起こる。「東日本大震災」である。意の一番にそこに赴くが、水に浸ったガレキの山に呆然とし、自分にはできることがあるのか?と悩みながら被災者のメンタルケアを中心にヴォランティア活動を始める。
一人の50~60歳程度の女性が何故かニコニコ笑みを浮かべながら彼に近づいてきた。そして一言こう言い放つ。「先生。私にゃもう生きる意味はないんです。」と。彼女の家族は自分以外全て震災によって命を落とし、独りぼっちになっていた。
彼は彼女を見つめながら心が凍ったように何も言えなくなる。口先だけの慰めなどできるものじゃない。つまりは本当は、剣も鎧も盾も大切な場面では何の役にも立たないと思い知らされる。
そしてこの活動後、フィンランドに赴き『「聞ききる」ことに専念するオープンダイアローグ』という精神療法に出会う。
そこでは車座に8~10名程度医師を交えて座り、対象となる患者が生い立ちから現在に至るまで何でも話すことが出来る。周囲に座る人々も医師以外は患者である。皆1人の話に聞き入る。大抵は苦しく辛い体験だったり、自殺未遂話だったり、たった一つの楽しい思い出だったり・・・そんな話を2時間程度し、すべて吐き出した後には大抵告白者は涙を流している。このオープンダイアローグ療法については後日の記事で書きたいと思うが、彼はこの療法に参加した後、独りアパートに戻り、自分の過去を思い出す。
あれほどまでに生前自分を父からかばい続けた母親。愛してくれた母親。その最後の見舞いの時「うるさい」と言った後かどうかはわからないが、母に向かって「僕は母さんにとって優しい子だったかい?」と尋ねた。
母親は答えた。「おまえは優しい子じゃなかった。」 これが母親と最後に交わした言葉だった。
それを想起し、彼は一人で泣いた。そして実際オープンダイアローグの場でこのことを告白した後、涙が止まらなかった。この母親の一言が自分をいかに絶望させ、苦しめられ続けたかを初めて自覚し、他者に向かってそれを言葉にすることが出来た。
2020年 コロナウィルス蔓延によって ネットカフェ生活者が退出を余儀なくされ、ホームレス状態になっている。寝る場所もカネも友人もいない人々。今度はそれに対し彼は挑み続けている。

彼の痩せた顔、つけた眼鏡の奥の瞳はどことなくナザレのイエスに似ているような気がした。


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