kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

ヨレヨレのお爺ちゃんが押す「乳母車」

実際は2つの手押し車があり 重なっている

一人は中年女性が介護車でお婆ちゃんを座らせ押していた

もう一人は80歳を優に過ぎているだろうお爺ちゃん(恐らく介護者に座っているお婆ちゃんのダンナだろう)が「乳母車」に赤ん坊を載せてゆっくり歩いていた

足元が不安な高齢の方々は よく「手押し車」を使い 付属のバッグに荷物を入れて歩いている

それはよく見るんだけど 「乳母車を押す高齢のお爺ちゃん」は初めて見た

不思議?…違う 危なっかしい?かも知れぬ だから2組合わせて4人で移動していたのだろう

うまく口では言えないんだけど お爺ちゃんは「安定歩行のために乳母車を押していた」わけだし 赤子の方も「座ったまま移動ができる」んだから 両者にとってウィンウィンに働いている光景だと思った

いや…そんなことよりも 「死にゆく者」と「育ちゆく者」が まさしく「人」という形で 支え合って移動している様子に心が動いた

よく「人という字は 孤独でなく 2本の棒 即ち2人で支え合ってる 人間とはそういうものだ」とか「道徳の時間」とかでエラソーに説かれるモノだと思っていたが この光景だけで十分だった 

 

経済的に独立しているから… 1人暮らしが気楽だから… 生き方は自由

自由だが それは「自立して歩ける脚」があってこその話で 人生の中では一時の事かも知れぬし 車椅子生活を余儀なくされる 支援学校の子や下半身が不如意の人々は 好むと好まざるに関わらず 「孤独ではいられない」

だからむしろ お爺ちゃんと赤子の乳母車に 「人」を見た気がした

 

お一人様はいかがなものか…とか

結婚しても子は要らない…とか

日本の少子化をなんとかしないと…とか

んなこた 私にはどうでもいい話 何度も言うが 人は自由な方がいい

正しい未来 誤った未来 ってのも 本当は無いのだと思う

未来が「その時」となった時 既に「現在」なのだから

現在を総括し評価・断定する術を人は持たない

 

kei