kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「雲の上はいつも青空 仮面の下はわからない」

「雲の上はいつも青空」

これは「老子」の言葉 飛行機の無い時代によくこんなことを言えたもんだ 夕暮れ時ネパールから飛び立った飛行機の窓から「雲の上から頭を出した8000m級ヒマラヤが金色に輝いている時」やっぱり感動してしまった 雲より高い山があるんだと 飛行機はほんの少し高い場所を飛んでいるように感じた

雲の下で生きる者どもは 雨だ 風だ フラレた 別れたと ガサゴソやっているけれど 雲の上は不変の世界 老子はこのことを言っているのだと思う

 

「なるようになる」という言葉を 今の私の主な人生観だと書いたが

因果律的思考」簡単に言えば「原因があるからかような結果となる」という考え方が 今は主流かも知れない つまり「だからこうなった」というヤツ

これに私は反論することは出来ないし 間違いでないことも知っている 野球で言えば「王貞治」の練習方法と「大谷翔平」の練習では多分全然違う 後者の方が科学的かつ合理的であるのは言うまでもない これは人間の弛まざる「因果性の追求」⇒「科学的分析」によってなされたものだ だから 私のように「なるようになる」とテキトーに生きる輩は 病気にもケガにもなりやすく 体は弱く死にやすいだろうと思う

では「だからこうなった的」思考の持ち主の言うことに耳を傾けるべきか?と言えば そうも思わない

世界最先端のコンピューターを用いたところで 仮面を被った者の本当の顔は 推量の域を超えることが出来ず 結局わからない

もっと端的なのは「3時間後の雲の形さえ当てることができない」

その上は必ず「青空」だとわかっているのに…

 

え。結局何が言いたいかと?

「起こること」と「分析結果・因果」は必ずしもイコールではない。

同僚の旦那さんは 毎日健康に気を使い 食べ物からランニングなどトレーニングを怠らず 医師から健康という太鼓判まで押されているのに ランニングの途中倒れて そのまま息を引き取った

幼い子がいる妻にとって「青天の霹靂」でしかなく 健康そのものの夫が何故30代前半で死んだのか 10年以上経ってもよくわからないと言っていた 科学的医学的に検証すれば「狭心症」であるとか 「健康体でもトポロジー的に心臓の動きを分析すれば 異常な動きをし始め止まることがある」という説も読んだことがある つまりどれ程強い心臓を持っていようと「心筋梗塞」や「狭心症」で止まる可能性がある

なので「事象」に対し「全て因果(分析)で片づけるのは不可能」だと思う どれほど有能なコンピューターが現れたとしても。

 

100年後の人類は「なるようになる」と言いながら生きてはいないだろう

 

だが それが正しいとも私は思わない 事象 事実 真実はもっと深い場所にある

ならば「ケ・セラ・セラ」「なるようになる」 は存在し続けるし

雲の形を指さして「因果によってお告げの通りこの形となったのだ」みたいに「因果律」をブン回す イカれた宗教団体には

「いや。それは結果が出ているから それに理由をこじつけてるだけだって」と言うだろう


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