kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「年齢は無い」

よって私にも年齢など無い もしくは「不定

ついぞ2000年前には 自分の年齢を数え 正確に覚えている者などいなかった 向こう千年間の歴史に名を刻んだ人物も 生没年が後世にわかったから 何年生きたかわかるに過ぎない その当人がわかっていたわけではない。と思う事がある

戦後の50歳の女性と今の50歳の女性では 風貌が全く異なり若く見える 70歳になっても カルシウム不足で腰が曲がることもない

では「年齢とは何なのか」 体の年齢なのか 心の年齢なのか 頭の年齢なのか…ともかく昔と今では「違う」のだろう

このような理由から 年金開始年齢を70歳に引き上げる案が政府で議論されるに至っているが その論拠が「寿命が延び 70歳でも働ける知力・体力があるから」だとしたら 「安易な論拠」だと私は感じる なぜ「安易」だと思うのか…しばし考えた

作家五木寛之の本によって広まった4つの時期の理由からか?

古代インドの人生論で、人生を4つのステージに区切る考え方です。日本では作家の五木寛之が『林住期』という本を出版したことで広く知られています。

以下に、四住期の基本的な考え方と各ステージについて紹介します:

学生期(がくしょうき):
8歳頃から25歳頃までが学生期です。
目上の人の指導のもとで学び、生きるための術を身につける時期です。
学生期は梵行期(ぼんぎょうき)とも呼ばれ、人生の基盤を築く重要な時期です。
家住期(かじゅうき):
25歳から50歳頃または定年までを家住期と呼びます。
社会人としての力を備え、家族を養う責任が生まれます。
家住期は一家の大黒柱として働き、知識や技術を活かす時期です。
林住期(りんじゅうき):
50歳から75歳頃に入るステージです。
家住期での役目を終え、新たなステージを迎えます。
自己成熟や内面と向き合う時期であり、第2、第3の人生とも称されます。
遊行期(ゆぎょうき):
75歳からは四住期における最後のステージで、人生の終焉に向けて準備をする時期です。
インドのバラモン教では、居住地を捨てて乞食として遊行するとされています。

と…CHAT-GPTは説明している

遊行期が「住処を捨てて乞食になってあるき回る」ってのいい。

私は林住期と併せて遊行期も過ごそうという「勘」みたいなものが働いているのかも知れないし 前回紹介した「軽バン生活」の夫婦もまた「家住期」でないのは確かで 異なる生を生きている

なので この人生の4期に当てはめて「70歳年金は合わない」と一概に言えるわけじゃない気がする 4期的生が全ての人に当てはまるわけはない

では違和感の元を別に考えると…

 

「人間 特に年齢なんぞない」という考え方に至った

自分が若いと思えば若いし 老けたと思えば老ける

たしかに見た目は変化し続ける 「生老病死」だものなぁ…

けれど「自由気ままに過ごせる状態」というのは2~4歳くらいまではそうだったので そこに戻った。とも言え 子供返りしているのかも知れない 頭も行動も…

 

人は「自分の様々な年齢の夢を見る」

 

これは 夢というより 人間の頭の中は「実はそんな感じ」なのでは?と思われ 何歳で定年 とか 家住期では家族を養う身として働けとか…決まったものではなく 取り分けて「〇歳」という自己認識は ただ無駄に自分を社会的類型にハメ込む役目しかないんじゃないかと思うのだった…

kei