今日夫婦共々「無職」になり 市役所に行って何故か私だけ「国民保険証」を貰った 家人の方は切り替えが遅れるとか…
ともかく こうして だんだん沖縄から 心が離れて行く自分を見ている感じ…
今は2つのことを調べたり考えてる
その一つは 「悪魔の証明」 松本氏の裁判に出てきた言葉だが「『ない』ことの証明」がいかに難しいか。という話 これは保留
もう一つは「表題」であるが 火事の時に出陣する「纏」役の男の啖呵って~感じ? この纏 別に火を消すわけでも何でもない 長屋の屋根に飛び乗って「纏」を振り「ここまで家をぶっ壊せ」とサインを送っているわけだ でないと延火がドンドン進んで大火になってしまう だから「ぶっ壊し屋と言えど大切な仕事だっただろう」
そうして 火事と喧嘩は江戸の華。というけれど…
火事となりゃ家財道具一式どころか 焼死する者も出ることが十分予想されるのに「華」って 酷くね? …と思う人は 心優し人だろう
けれど 世の中みんなそんなに優しくない 特に第三者の不幸となれば
想像してみてほしい「太い道路を挟んで向かいの家が燃えている」
あなたはそれを見に行くのではないか。
なぜ?
当然 対岸の火事だからこちらには被害はない 火の粉も飛んでこないとしたなら 大方の人は見に行くのだ
「被害の状況を確かめに?」 違う
ただ住居という大きな建物が さらに大きな炎に包まれている様を見たいのだ
それは「華=花火」とほぼ同様の心理 江戸時代から変わってない
見に行く理由は「好奇心」という 善でも悪でもなく 善でも悪でもあるような というより そのような物差しで測ることができない「トリックスター」だ
トリックスターは燃える炎に嬉々とする
私もその仲間の一人であるが
この「炎」という魔物
芥川の「地獄変」では その限界状況が描かれている
さて あなたは近所の「花火」と「火事」 どちらの方に足を運ぶだろう?
kei