kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「火事と喧嘩は江戸の華」

今日夫婦共々「無職」になり 市役所に行って何故か私だけ「国民保険証」を貰った 家人の方は切り替えが遅れるとか…

ともかく こうして だんだん沖縄から 心が離れて行く自分を見ている感じ…

今は2つのことを調べたり考えてる

その一つは 「悪魔の証明」 松本氏の裁判に出てきた言葉だが「『ない』ことの証明」がいかに難しいか。という話 これは保留

もう一つは「表題」であるが 火事の時に出陣する「纏」役の男の啖呵って~感じ? この纏 別に火を消すわけでも何でもない 長屋の屋根に飛び乗って「纏」を振り「ここまで家をぶっ壊せ」とサインを送っているわけだ でないと延火がドンドン進んで大火になってしまう だから「ぶっ壊し屋と言えど大切な仕事だっただろう」

そうして 火事と喧嘩は江戸の華。というけれど…

火事となりゃ家財道具一式どころか 焼死する者も出ることが十分予想されるのに「華」って 酷くね? …と思う人は 心優し人だろう

けれど 世の中みんなそんなに優しくない 特に第三者の不幸となれば

想像してみてほしい「太い道路を挟んで向かいの家が燃えている」

あなたはそれを見に行くのではないか。

なぜ?

当然 対岸の火事だからこちらには被害はない 火の粉も飛んでこないとしたなら 大方の人は見に行くのだ

「被害の状況を確かめに?」 違う

ただ住居という大きな建物が さらに大きな炎に包まれている様を見たいのだ

それは「華=花火」とほぼ同様の心理 江戸時代から変わってない

見に行く理由は「好奇心」という 善でも悪でもなく 善でも悪でもあるような というより そのような物差しで測ることができない「トリックスター」だ

トリックスターは燃える炎に嬉々とする

私もその仲間の一人であるが

この「炎」という魔物 
芥川の「地獄変」では その限界状況が描かれている

さて あなたは近所の「花火」と「火事」 どちらの方に足を運ぶだろう?

kei