kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「自立」という理想的で哀しい言葉

知的障害特別支援学校では「自立」という言葉を殊更大事にしているところがある

私が現役の時 保護者面談では「自立」というのは「いろんな人から いろんな風に愛されることだと思う」といつも答えていた気がするが 学習指導要領ではそんなことは書かれていないので「身辺的自立=自分の日常動作・作業が独りでできる」「精神的自立」「職業的自立」とか…ともかく「自立≒手がかからない」がキーワードであったわけで それは小・中・高等学校でも同様に言えることなので 支援学校が目標としていることは「どの学校でも大体同じ」だと 高校美術を担当してみて改めて思った

高校では授業中禁止されている「スマホ」の使用

大概ゲームをしているかTikTokなんかを見ているので「禁止」になるのも詮無いことかもしれないが 地下鉄などの電車内では 今では7割方俯いてスマホを弄っている 弄っていないのは使い方を知らないご老人と幼い子くらいか?

ともあれスマホは「自立に非常に訳立つ代物」であることは確かで それを考慮すれば 高校でも「便利なスマホの使い方」の授業をやったっていい気がする

スマホなら 地図アプリで自分で見知らぬ場所にたどり着くことができる 有名な食事処にいくことができる 道路の混雑状況もわかる 数時間後雨が降ることも 近くに泊まれる場所も 手に収まるこの機械によって知ることができ これ程「自立に役立つものはない」

朝 NHKで「阿川佐和子」氏が出演していた 鉄道大好き有名作家「阿川弘之」の娘にして 作家・TV司会者 ビートたけしのTVタックルでも 飄々とした表情で ユーモアさえ交えて話し合いができる人物 

阿川氏は「人同士のコミュニケーションが困難な現代の解決法は?」と尋ねられた時 スマホ習慣の負の側面として「便利すぎて他者と話す必要がない世相だから」と踏まえ

解決方法を「道は人に聞け」という法律でも作ったら?と笑いながら答えていた

実は私自身 道でもダイソーの売り場でもすぐそばの誰かや店員さんに尋ねる ウロウロするのがイヤだから…

加えて阿川氏は言う「尋ねようとする時 相手を見る目が養われる 尋ねられそうか?親切そうか…」こうして些細なコミュニケーションを積み重ねることで 他者との接し方がわかってくる

 

私もその通りだと思った だから「自立」って何なのか?と思ってしまうのだ

 

学力・能力・性格を示す五角形の図がある 全て高い数値で かつ正五角形ならばその人がBest… とは私は全く思わない そのような人は 他者に頼ることも 甘える必要がなく「立派に自立しているためコミュケーションさえ取る必要がない」+コンビニとコインランドリーさえあれば「独り完結」

それよりは 友人 恋人同士 夫婦でも 五角形の欠けた部分や出っ張った部分の「補完」のほうが実際的ではないかと思う まぁ、程度や相性にもよるけれど…

「自立」とは 旗に掲げて目指す目標だとは思わない。

 

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