kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「9.8m/s」

ヘンな表題だ。 

だが「人は100回試行し100回同じ結果になると それが『真実』だと思い込む」

真実は 実はそんなに浅くない

経験上大体そうであっても 実験結果が毎回同じという理由で「事実」とは呼べても どのような環境や状況下であっても同じ=「真実」ではないことの方が実は多いという気がする。

有名人 政治家 インフルエンサー 専門家 彼等の主張は デタラメだらけかも知れぬ 少なくとも科学的根拠という裏付けがあまりない場合は疑ってかかるのも 1つのアプローチとして然り。

では「統計」であるとか「アンケート結果」だとか「実験結果」が付属すれば信じればいいのか?と言えば そういうわけでもなく 主張する者が人間であってみれば「我田引水」であったりして 自己の主張の正当化のために利用していることはよくあること

じゃ…何を信じればいいのか。と?

「信じる」こと=もたれ掛かり に過ぎず それと同じ値で「信じない」というのも偏っており 見た目は反対なのに「同じこと」なのかも知れないので 「信じる&信じない自体不要」という事だってあり得る

 

ガリレオ・ガリレイピサの斜塔における実験でもいいのだが…

極端な思考実験として「一枚の羽根と砲丸競技の鉄球の落下実験」をやってみる

羽はヒラヒラゆっくり落下し 砲丸は垂直にドシンと「必ず早く落下する」

なので「砲丸の球のような重い物質が『落下速度が速い』」と思うだろう

しかし この実験結果は 地球上は窒素・酸素・二酸化炭素等「空気」がある条件下でのことで「真空状態」であれば どちらも秒速9.8mで落下し 同時に地面に接する

物理音痴の私が言うべきことではないと思うが… 空気のある世界の中で生きている私たちは それに慣れ過ぎているため「重いモノが早く落ちる」と思い込みがちではないかと察する

ならば 何につけても「誤解したまま生き それが世論となっていたり それが常識」だと思い込んではいまいか… そんな不安に ふと襲われる

 

「私たち一人一人の中に考えや思いがあり それぞれ独立した生命体」であるという認識 これは真実か? もしかしたら「竹林」のように根の部分で繋がり合っており「100年に一度全部枯れてしまう生物」というのが真実かもしれない

ともあれ 認識が 理解が 学習が 経験が「正しい」と思い込んでいるのは自分か 人類だけで 世界の方は「正解!」と 太鼓判を押しているわけでない

 

いずれかの日 人間は「覚醒し 真実の一端を知ることがあるかも知れない」

 

アインシュタインが「時間」というものは独立して存在するのではなく 

「時空」という「空間と時間の共存状態でしか存在できない」と言っているように

まだまだ「誤解」したまま生きていたり

 

「生も死も 夢も現実も 実は無かった」…なんてことが真実かも知れない

kei