kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「健常と障害の狭間」斎藤知事

働いていた時代 数名の初任先生の教科指導をした

助言が一切必要のない先生もいれば 主事招聘の公開授業の指導案が書けない先生もいた

後者の方は 臨時の時代 採用試験のための模擬授業に立ち会い 助言をした その人が考えた模擬授業は「自画像」をテーマにしていたようだったが 良かれ悪しかれ凡庸で 生徒の興味関心を引くか?という点で疑問が残ったので 美術の時間あまり利用されていない教科書を用い「好きな絵を選ばせる」という授業がいいのではないか と伝え 具体的なやり方まで説明した それがどれ程功を奏したのかわからないが その人は合格し教師になった 合格したことの報告も お礼も私に届くことは無かった その時 私は気を悪くしたわけではなく 当人の感情面に違和感を感じた。 だがこれで無関係になれると思った翌春 私はその人の教科指導に充てられてしまった 9回分の研究授業の指導案を読んだが 論理的にも言葉の用い方も一貫性が不十分で アイディアも研究授業としては足りなかった なので主事に見せる最も大切な研究授業の指導案は私が書かざるを得なかった 提出期限ギリギリだったので仕方がない 果たして授業は主事にたいそう褒められたそうだが… 当人は満足げ だがやはり私には一言も無かった

その時には特に驚かなかった 彼が「メタ認知」に関し不都合さを持っていることを知っていた

以前にも書いたが メタ認知とは「場の空気を読む能力」であり「立場交換(ロールプレイ)の能力」に関係している これが困難だと他者の喜怒哀楽に鈍感な傾向となる

 

ある心理学者の動画を観た それは 兵庫県斎藤知事を心理学的側面からとらえて論じたものだったが 学者は「認知的不適応が見られる」と言い そう考えると知事の応答は率直なものだと言った つまりは「自閉的傾向」を有し カテゴリーで言えば「アスペルガー自閉傾向」であるということだろう

 

アスペルガー型自閉は それこそ「真摯に取り組む」ので 学業面では優秀であることが少なくない そして東大に合格し 卒業後総務省に努め「霞が関の常識」を刷り込まれた その刷り込みが知事になっても変わらず「非常識」と言われるようになった

彼には「死を賭した他者の思い」は理解できないのではないか… 自分の固定化した考えを変えることが難しいのではないか… 確信はないけれど その方が自然な気がしてきた。

 

私自身 健常なのか障害をもっているのかわからない なので他者のことをどうこう言えるものじゃないと思う だが メタ認知に関して困難な人は存外に多いことは知っている そのような人に「常識」を振りかざしても ピンとこないだろう

 

これからも百条委員会で彼は答弁するだろう もしかしたら「刑事・民事裁判」も開かれるかもしれない その時「認知的不適応」に関する問題が 挙がってくるのがいいのか それとも常識に照らし合わせて裁判すべきなのか 難しいところだと思う 

「健常と障害の狭間」言い換えれば「正常と異常の狭間」は濃度の違いこそあれ 峻別できるモノじゃない 私自身もその間に位置し 揺れ動いていることも知っている

kei