kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「Fool」

これはついさっき描いたもので 名前もついていませんし イメージも明瞭でない

本当に描きかけの絵です

 

前回「則天去私」という心境で描こうと思った矢先

 

実際描いてみると”頭の中の言葉は”カラッポ”でした。

 

ただ感覚と 目と 動く手だけ…

思考までたどり着いてもいない ”未分化の何か”で描いている気がしました

これを通常「アホ状態」というのでしょうし

私は道やスーパーなどでボンヤリ歩いている時 知的障害を持っている人物

と思われることがあるようで 同居人から「そうみられてる」と度々聞かされても

「はぁ。」と どうでもいい反応をするだけで 

「なんでだろ?」と呟いて それで2人の会話は終わります

実際 描いている時間が「アホ」なので 

生活全般も 昔で言うところの痴呆に見えるのかも知れません

 

ただし このアホは一つの願いを持っています

 

今日はガストで夕食を摂りました 奥の壁面に0号かと思われる程小さな絵が豪華な白い額縁に嵌って 横並びにキレイに配置されていました なので「見せる気はないがインテリアとしてこの壁に必要」という判断でしょう 客たちはごく当たり前に絵の存在は感じても マジマジと見ることはしません

けれど これが「モネ作」とか「スーラ作」と下にタグを貼れば 多くの人が見ることでしょう そしてその良さや価値について話題になると思います

中くらいのモネの作品なら 店舗より高額になりますから…

ですが アホが目指すのは「ただ足を止め見入らせる絵」

作者は関係ありません なので絵の中にサインは書くことはない

ただ1分が2分 2分が3分 見る者の目をくぎ付けに出来たら絵描き冥利に尽きるというもの

実際 NHK放送のTVで 世界の風景や人物の群像を撮った写真を数枚見ているうちに その美しさ 強さ …ともかくわからないけれど引力に抗えないように見入ってしまったことがありました

番組を終える寸前わかったのですが その写真家は やっぱり「藤原新也」でした

写真家藤原新也が有名だから 作品がスゴイのではなく その逆なのです

 

「無名結構」

 

何でも鑑定団などという番組が放送される限り「見る目が養われる」とは思えませんし

「審美眼」がさして重要とは思いません

ただ人の足を止めさせる絵が描けるかどうか。それしか私の頭にはありません

そして描いている時は アホ です

作業は短時間でしたが 本当の自分に戻れた気がしました。

 

kei


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